2025年11月18日
濃ゆ〜い4日間!
先週は火曜日から金曜日まで濃ゆ〜い4日間でした

アメリカからいとこのチャールズさんと奥さんのカミーさんが福岡に遊びに来てくれたんです

8月にロサンゼルスで行われた王家の家族会以来、3ヶ月ぶりの再会です

本当に濃ゆ〜い4日間でした
一緒に相撲を観に行ったり・・・


高千穂に行ったり・・・


(ボートにも乗りました
)

久住のTAOの丘で太鼓の演奏を聞いたり・・・

(壮大な景色をバックにサイコーの演奏でした
)
一緒に食事もしました


そして

五十番食品の工場見学もしてくださいました〜

試食も



常務とも話してもらいました〜


常務に事前に「チャールズさん、うちの父にそっくりだから是非会ってください
」と伝えていたんですが、「本当に似とるなぁ〜」としみじみ言っていました

そして、大宰府天満宮にも行き・・・

(おみくじ引きました
)
チャールズさんが生まれた場所にも行ってみました
チャールズさんは福岡で生まれました。
今の春日公園のところに昔米軍基地があったのですが、ご両親が白木原ベースという米軍相手に商売をしていた通りでテーラーの仕事をしていて、チャールズさんはそこで生まれました。
この建物。
↓ ↓ ↓

(私の父もここに居候しながらテーラーの仕事を手伝っていました)
去年チャールズさんの姉のパールさんが福岡に遊びに来た時に、「昔テーラーがあった場所に行ってみたい
」と言われ、私はいろいろな資料を調べに調べて、昔テーラーがあった場所を探し当てました
今はコインランドリーになっているのですが、そこにも一緒に行きました


(コインランドリーの前ではしゃぎながら写真を撮りまくる怪しい観光客
)
チャールズさんは7歳までここに住んでいて、福岡の米軍基地が縮小するのに合わせて東京に引っ越し、9歳の時に家族でアメリカに移住しました。
福岡の記憶は全くないそうなんですが、「お母さんに見せる」と言って写真や動画をたくさん撮っていました

チャールズさんはアメリカに移住したあとは日本語を使う機会は全くなかったそうですが、私たちのために日本語を思い出し思い出ししながら一生懸命話してくれました。
私たちも頑張って英語で話しましたが、4日間で私たちの英語よりもチャールズさんの日本語の方がだいぶ上達していました

チャールズさんが私の父に最後に会ったのはアメリカに移住する前の9歳の時だそうです。
その時の父との思い出が鮮明にあるそうで(ワッと驚かされて大泣きしたそうです)、そんな話をしてくれたり、チャールズさんのお母さん(父の姉)から聞いた父の人となりもいろいろ教えてくれました。
父が亡くなってもう35年経ちますが、こんな風に父のことを覚えてくれていて、父との思い出話を聞くことができるなんて・・・本当に宝物のような時間でした

チャールズさん、カミーさん、福岡に来てくれて本当にありがとうございました

アメリカと日本とで離れていますが、是非また会う機会を作りたいです
私もそれまで健康には気をつけて元気に過ごしたいです



アメリカからいとこのチャールズさんと奥さんのカミーさんが福岡に遊びに来てくれたんです


8月にロサンゼルスで行われた王家の家族会以来、3ヶ月ぶりの再会です


本当に濃ゆ〜い4日間でした

一緒に相撲を観に行ったり・・・


高千穂に行ったり・・・


(ボートにも乗りました
)
久住のTAOの丘で太鼓の演奏を聞いたり・・・

(壮大な景色をバックにサイコーの演奏でした
)一緒に食事もしました



そして


五十番食品の工場見学もしてくださいました〜


試食も




常務とも話してもらいました〜



常務に事前に「チャールズさん、うちの父にそっくりだから是非会ってください
」と伝えていたんですが、「本当に似とるなぁ〜」としみじみ言っていました

そして、大宰府天満宮にも行き・・・

(おみくじ引きました
)チャールズさんが生まれた場所にも行ってみました

チャールズさんは福岡で生まれました。
今の春日公園のところに昔米軍基地があったのですが、ご両親が白木原ベースという米軍相手に商売をしていた通りでテーラーの仕事をしていて、チャールズさんはそこで生まれました。
この建物。
↓ ↓ ↓

(私の父もここに居候しながらテーラーの仕事を手伝っていました)
去年チャールズさんの姉のパールさんが福岡に遊びに来た時に、「昔テーラーがあった場所に行ってみたい
」と言われ、私はいろいろな資料を調べに調べて、昔テーラーがあった場所を探し当てました
今はコインランドリーになっているのですが、そこにも一緒に行きました



(コインランドリーの前ではしゃぎながら写真を撮りまくる怪しい観光客

)チャールズさんは7歳までここに住んでいて、福岡の米軍基地が縮小するのに合わせて東京に引っ越し、9歳の時に家族でアメリカに移住しました。
福岡の記憶は全くないそうなんですが、「お母さんに見せる」と言って写真や動画をたくさん撮っていました


チャールズさんはアメリカに移住したあとは日本語を使う機会は全くなかったそうですが、私たちのために日本語を思い出し思い出ししながら一生懸命話してくれました。
私たちも頑張って英語で話しましたが、4日間で私たちの英語よりもチャールズさんの日本語の方がだいぶ上達していました


チャールズさんが私の父に最後に会ったのはアメリカに移住する前の9歳の時だそうです。
その時の父との思い出が鮮明にあるそうで(ワッと驚かされて大泣きしたそうです)、そんな話をしてくれたり、チャールズさんのお母さん(父の姉)から聞いた父の人となりもいろいろ教えてくれました。
父が亡くなってもう35年経ちますが、こんな風に父のことを覚えてくれていて、父との思い出話を聞くことができるなんて・・・本当に宝物のような時間でした


チャールズさん、カミーさん、福岡に来てくれて本当にありがとうございました


アメリカと日本とで離れていますが、是非また会う機会を作りたいです

私もそれまで健康には気をつけて元気に過ごしたいです


