2014年12月

2014年12月30日

五十番食品は今日が仕事納めです

今年は例年以上に工場がバタバタしていて、人手が足りない時は私も現場に入ったりして、慌ただしくあっという間に終わってしまった12月でした。

事務所は今日が仕事納めですが、工場は昨日が仕事納めでした。

毎年仕事納めの日は工場の大掃除をするのですが、今年は商品の品薄状態が続き、大掃除は来年に持ち越しをして昨日も一日工場を稼働して目一杯製造をしました。

それでもやっぱり「大掃除をしないと年を越せない」と、うちの常務と工場長。

今日私が出社して工場に降りると・・・
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↑ 誰もいない工場の中で、常務が一人で黙々と高圧洗浄機で床をキレイに掃除してくれていました

本当にありがとうございます

朝の9時頃「やっと終わった〜」と社長室に入ってきましたが、なんと朝の5時過ぎから工場全体の床を高圧洗浄機で掃除をしてくれていたそうです

4時間近くも・・・本当に感謝しかありません


そして工場長は・・・
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↑ 毎年恒例のお仕事、しめ縄付けです

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↑ 「葉っぱのビニールは剥がすのでは?」と思いますが・・・とりあえずそのままにしています


そして工場長が鏡餅を2つ買ってきてくれたので、私が飾り付けをしました

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↑ こちらが事務所用。
パンダと一緒に飾ってみました

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↑ そしてこちらが工場用。

どこに飾っているかというと・・・
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↑ なんとオーブンの上です
毎年ここに飾っているそうです


そして今日は工場は稼働していませんが、昨日製造した商品の箱詰めのためにH係長とS主任が出社してくれていました。
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↑ 今年の年末は商品の製造が本当に追いつかず、日曜日も出勤して仕事をしてくれていた2人です。

最後の最後まで本当にありがとうございます


そして今年も五十番食品を応援してくださった皆さん、一年間お世話になり本当にありがとうございました

皆さまのおかげ様で五十番食品も年を越すことができます。

来年も従業員一同精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします

2014年12月23日

今日は天皇誕生日で祝日ですが、五十番食品の工場は一日稼働していました。

祝日に出勤してくれたスタッフのために、常務が臨時の賄いを作ってくれました

今日の賄いはカレースープ。

お昼休みになると常務から「社長、お昼ご飯の準備ができましたよ〜」と呼ばれました。

事務所に行くと、机の上にこちらの料理が用意されていました。(↓)
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↑ 私の分は特別に、カレースープに工場で余った麺の切れ端を入れてカレーうどんを作ってくれたそうです

しかもピリ辛が好きな私のために、私の分だけ豆板醤を入れて作ってくれたそうです

本当に優しい常務です


カレーうどんを美味しくいただいたあと、事務員のMさんからもらったチョコレートを食べながら一息ついていると・・・
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↑ おもむろに常務がやってきて、私の机の上から空になったお皿を手に取り、流し台まで持って行ってくれました〜

食事の用意から片付けまで、まさに“上げ膳据え膳”

常務、ありがとうございます


実は・・・今日だけでなく、私が会社でお昼ご飯を食べる時は、毎回上げ膳据え膳なんです

お昼ご飯の準備から後片付けまで、全部常務がしてくれます。

本当にありがたいです

常務、甘えてばかりでゴメンナサイネ


常務の賄いは本当に美味しいです

今度の土曜日は今年ラストの賄いになります。

どんな料理が出てくるのか、大いに期待したいと思います



2014年12月22日

本日12月22日は冬至です。

「冬至(とうじ)」は、一年の間で昼が最も短く、夜が最も長くなる日です。

この冬至に、中国では餃子を食べる風習があります。

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この餃子について、中国の東漢の時代に「張仲景」というお医者さんが発明したという説がありますのでご紹介させていただきます

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餃子の元々の名前は「嬌耳」(可愛い耳)といいます。
発明した張仲景は有名なお医者さんでした。

張仲景は医者として名高いだけでなく、貧しい人も金持ちの人も区別することなく誰に対しても一生懸命治療して多くの命を救い、人間的にもとても素晴らしい人でした。

ある時疫病が大流行した時に、張氏は町の入口に大きな鍋を設置し、薬を調合して町の人々に与えました。
人々は大変喜び、また病気が治ったことに深く感謝しました。

その後仕事を引退し故郷に戻ると、多くの貧しい民衆が飢えと寒さに苦しんでいました。
みんな凍傷で耳がただれています。

多くの患者が治療を求めに来るため張氏は多忙な毎日を送っていましたが、耳が凍傷に冒された民衆のことがどうしても気がかりでした。

そこでかつてのことを思い出し、弟子を呼んで町の広場に医療小屋を作り、大きな鍋を設置して冬至から数日間貧しい人たちに薬を与えました。

張仲景が鍋で作った薬は「去寒嬌耳湯」(身体が暖まる餃子スープ)といい、羊肉や唐辛子、それと一緒に生薬を煮込み、出来上がった中身を小麦粉でできた皮で耳の形に包んだものでした。

それを食べた患者たちは全員、体が温まり血色が良くなり、凍りついた両耳も暖かくなりました。
そしてしばらくこの餃子を食べ続けた患者たちの耳のただれは良くなっていきました。

この医療小屋は大晦日まで続き、年が明けて元旦の朝、人々は新年を祝うとともに、耳のただれがなくなったことも大変喜びました。
そしてこの可愛い耳のような食べ物を、年越しの祝いの食べ物としたのです。

張仲景が亡くなって1800年が過ぎようとしていますが、「去寒嬌耳湯」の話は民間に広く伝わり、毎年冬至から元旦までの間に餃子を食べる習慣は今なお受け継がれているのです。

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以上が餃子を発明したとされる張仲景のお話です。

餃子が人々の耳の凍傷を治すために発明されたとは、大変興味深いですね

皆さんも冬至の今日から餃子を食べるのはいかがですか??
美味しい餃子で寒い冬を乗り切りましょう


※こちらの記事を参考にさせていただきました。
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/01/print/prt_d17254.html
http://www.yakuzenro.jp/room/shokubunka/gyouza.htm

2014年12月20日

12月の毎週土曜日のお楽しみといえば・・・
そうです「常務の賄い」です

先々週はカレー、先週は豚汁を作ってくれましたが、今日も土曜日出勤してくれているスタッフのために、常務が美味しい料理を作ってくれました

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今日の賄いはこちら(↓)
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↑ 何料理と言ったらいいんでしょうか??

中華ベースのピリ辛スープの中に、豚肉、キャベツ、厚揚げ、ウィンナー、卵麺など、たっぷり具材が入っていました

ひと口食べると・・・美味しい〜

今日も美味しくいただきました

常務ありがとうございます


「来週は何作ってくれるんですか」と聞くと、「来週も作らないかんとー」との返事。

口ではそう言っていても、きっと作る気満々です

来週で最後の賄いになると思います。

常務、よろしくお願いしますね
大いに期待していま〜す

2014年12月16日

先日、常務と工場長と私の母と4人で、五十番食品の創業の地である“博多区雑餉隈”で懇親会をしました

創業メンバーでの飲み会は久しぶり

場所は前回と同じ「十勝」で行いました。


工場長は私が産まれる前から、常務は私が生後8ヶ月の時から、五十番食品で働いてくれています

本当に長いですね〜

五十番食品の歴史をすべて知っている2人、今でもいてくれることが本当に感謝です


この4人が集まると、話題はやっぱり父の話です。

父の数々の武勇伝を聞かせていただき、いろいろな意味で偉大な人だったんだなぁと改めて思わせていただきました

美味しいしゃぶしゃぶを食べたあとに、4人でパチリ。(↓)
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お腹いっぱいになりましたが、常務が「近くに餃子が美味しい中華料理屋があるから行ってみよう」と言うので、2軒目のお店に行きました。

常務が連れてきてくれたお店は、カウンターだけの狭い中華屋さん。
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↑ ここでもパチリ。
狭かったですが、なんとか写真に収まりました


美味しい餃子を食べたあと、今度は「五十番食堂があったところがすぐ近くだから行ってみる?」と言われ、4人で行ってみました。

「中華食堂五十番」は、有限会社五十番食品を設立する前に父がやっていたお店です。

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↑ 五十番食堂の跡地には大きなマンションが建っていて面影も何もありませんでしたが、「ここから五十番が始まったんだ〜」と思うととても感激でした

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↑ ちなみにこちらが当時の写真。

映っているのは父の若かりし姿です


若い頃は自分のルーツとかにあまり興味はありませんでしたが、最近は「自分のルーツや会社のルーツを知りたい」という思いがどんどん強くなってきています。

それだけ年を取ったということでしょうか

これからも常務や工場長から父のいろいろな話を聞いて、記憶にしっかりと留めておきたいと思います


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