2025年01月31日
愛と感謝の方でした
先日、とってもお世話になりとっても大好きだった友永社長が亡くなってしまいました。
お通夜と葬儀に参列させていただきました。
初めてお会いさせていただいた日のこと、これまでご一緒させていただいた10数年間のこと、走馬灯のように次から次へと頭をよぎり、涙が止まりませんでした。
「愛」と「感謝」の塊のような方でした。
人を楽しませるのが大好きな方でした。
いい大人なのに、お茶目で子どものように無邪気な方でした。
5年前の友永社長の古希のお祝いの時、絵の下手な私が下手なりに一生懸命似顔絵を描いてプレゼントさせていただいたんです。

するととっても喜んでいただき、なんとお店ののぼり旗にもこの絵を使っていただきました

お店の近くを歩いていると、「あっ、あののぼり旗の人だ
」と言われたこともあったそうです。
お誕生日には、この絵のバースデーケーキをプレゼントすると、とっても喜んでくださいました

去年の春、ご病気になられご自宅で療養していることを聞き、「あの似顔絵を近くに置いておいてくださいネ
私がその絵からパワーを送りますから
」と伝えました。
呼吸器系の病気だったので、電話でお話ししたりするのが苦しいと人づてで聞いていました。
薬を飲むと一時的にはラクに話せるようになるが、そのあとの後遺症がキツイと・・・。
なので遠慮して会いに行くことができず、療養に入られてから結局会えずじまいでした・・・。
お通夜の日、びっくりしました。
なんと私の描いた似顔絵が祭壇に飾ってあったんです
悲しいと当時にびっくりして思わず笑ってしまいまいた。
社員さんに聞いたら、療養中もずっとお部屋に似顔絵を飾ってくれていたそうです。
毎日仏壇に手を合わせる時に「今日も友永社長が少しでも体がキツくなく過ごせますように」と祈っていました。
私のパワー、絵を通じて少しは届いていたかな・・・。
結局友永社長からはたくさんの愛をいただきっぱなしで、何もお返しできませんでした。
いろいろと後悔は残ります・・・。
でも、今まで友永社長からいただいたたくさんの愛をこれから周りの方へ返していくことが、友永社長への恩返しになると信じます。

友永社長、しばらくお会いできなくなりましたが、私がいつの日かそちらに行った時には、「愛ちゃ〜ん
」といつものとびっきりの笑顔で迎えてください

その日まで、私も友永社長に教えていただいた「愛」と「感謝」を忘れずに、精一杯生きていきます
お通夜と葬儀に参列させていただきました。
初めてお会いさせていただいた日のこと、これまでご一緒させていただいた10数年間のこと、走馬灯のように次から次へと頭をよぎり、涙が止まりませんでした。
「愛」と「感謝」の塊のような方でした。
人を楽しませるのが大好きな方でした。
いい大人なのに、お茶目で子どものように無邪気な方でした。
5年前の友永社長の古希のお祝いの時、絵の下手な私が下手なりに一生懸命似顔絵を描いてプレゼントさせていただいたんです。

するととっても喜んでいただき、なんとお店ののぼり旗にもこの絵を使っていただきました


お店の近くを歩いていると、「あっ、あののぼり旗の人だ

お誕生日には、この絵のバースデーケーキをプレゼントすると、とっても喜んでくださいました


去年の春、ご病気になられご自宅で療養していることを聞き、「あの似顔絵を近くに置いておいてくださいネ



呼吸器系の病気だったので、電話でお話ししたりするのが苦しいと人づてで聞いていました。
薬を飲むと一時的にはラクに話せるようになるが、そのあとの後遺症がキツイと・・・。
なので遠慮して会いに行くことができず、療養に入られてから結局会えずじまいでした・・・。
お通夜の日、びっくりしました。
なんと私の描いた似顔絵が祭壇に飾ってあったんです

悲しいと当時にびっくりして思わず笑ってしまいまいた。
社員さんに聞いたら、療養中もずっとお部屋に似顔絵を飾ってくれていたそうです。
毎日仏壇に手を合わせる時に「今日も友永社長が少しでも体がキツくなく過ごせますように」と祈っていました。
私のパワー、絵を通じて少しは届いていたかな・・・。
結局友永社長からはたくさんの愛をいただきっぱなしで、何もお返しできませんでした。
いろいろと後悔は残ります・・・。
でも、今まで友永社長からいただいたたくさんの愛をこれから周りの方へ返していくことが、友永社長への恩返しになると信じます。

友永社長、しばらくお会いできなくなりましたが、私がいつの日かそちらに行った時には、「愛ちゃ〜ん



その日まで、私も友永社長に教えていただいた「愛」と「感謝」を忘れずに、精一杯生きていきます
