2024年04月17日
家族のルーツ!
先週、アメリカに住んでいる父方のいとこ家族7名が福岡に遊びに来てくれました。
いとこといっても全員英語しか話せず、私たち家族は日本語しか話せないので大変だったのですが(Google翻訳にとってもお世話になりました
)、言葉は通じずとも血はつながっています
お互いに一生懸命コミュニケーションを取って、とっても有意義な時間を過ごすことができました

そして、今週もまたアメリカに住んでいる別のいとこ家族3名が福岡に遊びに来てくれました
(今回は3名のうち1名が日本語が話せたので、コミュニケーションは全く心配がありませんでした
)
そして、このいとこのお陰で、思いがけず家族のルーツを知ることができました
今週来福したいとこのパールさんは、元々神戸生まれ。
パールさんが小学生の時に、両親が福岡の米軍基地の近くでテーラー(洋服の仕立て)の商売をすることになり、家族で福岡の白木原(しらきばる)というところに引っ越してきたそうです。
私の父も若い頃、いとこ家族の家に居候しながら商売を手伝っていました。
米軍基地の近くで米兵相手に商売をしていましたが、こちらの米軍基地が閉鎖されることになり、いとこ家族は東京の米軍基地の近くに引っ越してそちらで新たに商売を始めました。
しかしそちらの米軍基地も閉鎖することとなり、結局家族でアメリカに移住することになりました。
いとこのパールさんは15歳の時にアメリカに移住し、それからずっとアメリカで生活しています。
今回パールさんから福岡に遊びに行くと連絡があった時、「テーラーのお店があった場所に行きたい
」とリクエストがありました。
当時の住所も全く分からず、どうやってそのお店のあった場所を調べたらいいのか検討もつかず途方にくれましたが、いろいろと調べまくった結果、奇跡的にそのお店の場所のあった場所を特定することができました
(詳しくはこちらの記事に書いています)
しかし、お店があった場所をGoogle Mapのストリートビューで見てみると、昔の面影は全くありません・・・。
しかし本人のリクエストなので、福岡に来た初日に連れて行ってあげました。
いとこ家族が商売をしていた時は、こんな建物でした。
↓ ↓ ↓

(この写真も私が奇跡的に見つけました
)
そして、パールさん一家がアメリカに移住したあと、日本に旅行に来た時に私の父にテーラーの場所に連れて行ってもらった時には、こんな風になっていました。
↓ ↓ ↓

写真では切れてしまっていますが、「CHINESE TAILOR」と書いてあり、別の方がまだこちらで洋服の仕立ての仕事をしていたようです。
それが今は・・・

↑ ↑ ↑
コインランドリーになっていました〜

「洋服つながり」ではありますが・・・昔の面影は全くありません。
せっかくなので、コインランドリーの前で記念撮影


米軍基地があった時のことを知っている人はいないとは思いましたが、いちお中におられた従業員の方に聞いてみることにしました。
パールさんが「米軍基地があった頃に、私の家族がここでテーラーの仕事をしていたんです」とお話しすると、「どうしてコインランドリーの建物の前で写真を撮っているんだろう・・・と不思議に思っていました」と言われました
(そりゃそうですよね・・・
)
そして、その会話を聞いていたコインランドリーにたまたまお客様として来ていた男性の方が、「あそこの〇〇さんと△△さんと□□さんだったら、当時のことを知っているかもしれない」と3軒のお店を教えてくれました

教えていただいた1軒目は、クリーニング店。
中に入って聞いてみると、当時のことを知っている方は亡くなってしまったとのこと・・・。

しかし、こちらのクリーニング店は米軍基地があった頃は靴屋をしていたそうで、当時の機械がお店に飾ってありました。
教えていただいた2軒目は、肉まん屋さん。
有名な「太平閣」という肉まん屋さんです。
お店に入って聞いてみると、当時のことを知っている88歳のお母さんが対応してくださりお話を聞かせてくれました。

太平閣は、昔はなんとテーラーをしていたそうです。
いとこ家族と同業です
パールさんのご両親のことは覚えてはおられませんでしたが(50年以上も前のことなので・・・)、私たちの訪問をとっても喜んでくださいました


本当にありがとうございます

そして3軒目は、バイク屋さん。
こちらの店主も、本当に詳しくいろいろと教えてくださいました

こちらの店主のお父さんは昔米軍基地の消防士、お母さんは米兵の子ども相手のベビーシッターをしていたそうです。
いろいろな資料も見せてくれながら、当時のことを詳しく教えてくれました。


いきなりの訪問にも丁寧に対応してくださり、とっても対応に慣れていると思ったら・・・当時のことを聞きにアメリカ人などがお店を訪ねてくることが多々あるそうなんです。

こちらでもお店の前で写真を撮らせていただきました

本当にありがとうございました
当時のことを知っている方のお話を聞けて、パールさんも大感激

私も、当時の面影が全くないコインランドリーを見てパールさんはがっかりするだけだろうなぁと思っていたので・・・喜んでいるパールさんを見てほっと一安心しました

たまたまコインランドリーに来ていたお客様から教えていただいた情報のおかげで、3軒のお店を訪ねることができましたが、これだけでは終わりませんでした
福岡には2泊の予定で、翌日には私の父に昔連れて行ってもらった阿蘇山に行きたいと言われていたんです。
阿蘇の噴火口に行きたいと言われていたんですが、最近阿蘇山の噴火が活発で、噴火口は立入規制が毎日出ていたので、「明日阿蘇に行っても、噴火口には行けないかもしれない」と伝えたら、「それなら予定を変更しよう」ということになりました。
翌日の午前中は、五十番食品の工場見学をしていただきました。

そして私が工場を案内している間、私の姉が「白木原ベース通りについてもっと詳しいことを知れないか
」と、大野城心のふるさと館という大野城地区の歴史を調べられる資料館に行ってくれていました。
すると、詳しい方がいるということで、工場見学のあとに心のふるさと館に行ってお話を聞かせていただきました。
そこでまた衝撃の事実が発覚しました
私がネットで偶然に見つけたこの写真。
↓ ↓ ↓

パールさんからお店の名前を「ウェスリーテーラー」と聞いていて、たまたまこの写真をネット記事で見つけた時に看板に「WESLEY」と書いてあったので、「この建物がパールさん家族が商売をしていたお店ではないか
」とパールさんにこの写真を送ったところ、まさにビンゴだったんですが・・・
この写真を撮った方が、大野城心のふるさと館で対応をしてくださった女性ののちの旦那さんだったそうなんです。
1980年代にこの建物が取り壊されることになり、当時高校生だった旦那さんが、学校のカメラでこの写真を撮ったとのこと

自分の旦那さんが高校生の時に撮った写真の建物で商売をしていた方が40年後に訪ねてきたということで、ふるさと館の方も大感激していました
そして、もうひとつ感動の話があります。
今回福岡に遊びに来たのは、私の父の姉の子どものパールさんと、パールさんの妹ジュディさんの旦那さんと息子さんの3人でした。
パールさんの妹のジュディさんは、私が10年前にアメリカに行った時に家に泊めてもらったりして大変お世話になった方なんですが・・・1年半前に病気で亡くなってしまいました
ジュディさんが亡くなる前に、「私がもし連れていけなかったら、夫と息子を日本に連れて行ってほしい」と姉のパールさんにお願いしていたそうなんです。
それで今回の福岡への旅行となったんですが、ジュディさんの息子の名前が「ウェスリー」。
両親が商売をしていた「ウェスリーテーラー」の“ウェスリー”をジュディさんが気に入っていて、そこから名前を付けたそうなんです。
ウェスリーくんが、ウェスリーテーラーの写真を持って記念写真。


ここにジュディさんがいたらどれだけ喜んだことか・・・感激の瞬間でした。
今回、パールさんから「テーラーのあった場所に連れて行ってほしい」と言われ、なんとか場所の特定はできたものの、現在のコインランドリーの姿を見てがっかりして帰るだけの時間になると思っていたのが・・・いろいろな方のご協力のお陰様で、思いもかけずに家族のルーツを知る貴重な機会となりました

私の父も、この建物に居候しながらテーラーの仕事を手伝っていたのだと思うと、私もとても感慨深いです。
ご協力していただいたすべての方に感謝します

本当にありがとうございました

いとこといっても全員英語しか話せず、私たち家族は日本語しか話せないので大変だったのですが(Google翻訳にとってもお世話になりました

)、言葉は通じずとも血はつながっています
お互いに一生懸命コミュニケーションを取って、とっても有意義な時間を過ごすことができました


そして、今週もまたアメリカに住んでいる別のいとこ家族3名が福岡に遊びに来てくれました
(今回は3名のうち1名が日本語が話せたので、コミュニケーションは全く心配がありませんでした
)そして、このいとこのお陰で、思いがけず家族のルーツを知ることができました

今週来福したいとこのパールさんは、元々神戸生まれ。
パールさんが小学生の時に、両親が福岡の米軍基地の近くでテーラー(洋服の仕立て)の商売をすることになり、家族で福岡の白木原(しらきばる)というところに引っ越してきたそうです。
私の父も若い頃、いとこ家族の家に居候しながら商売を手伝っていました。
米軍基地の近くで米兵相手に商売をしていましたが、こちらの米軍基地が閉鎖されることになり、いとこ家族は東京の米軍基地の近くに引っ越してそちらで新たに商売を始めました。
しかしそちらの米軍基地も閉鎖することとなり、結局家族でアメリカに移住することになりました。
いとこのパールさんは15歳の時にアメリカに移住し、それからずっとアメリカで生活しています。
今回パールさんから福岡に遊びに行くと連絡があった時、「テーラーのお店があった場所に行きたい
」とリクエストがありました。当時の住所も全く分からず、どうやってそのお店のあった場所を調べたらいいのか検討もつかず途方にくれましたが、いろいろと調べまくった結果、奇跡的にそのお店の場所のあった場所を特定することができました
(詳しくはこちらの記事に書いています)しかし、お店があった場所をGoogle Mapのストリートビューで見てみると、昔の面影は全くありません・・・。
しかし本人のリクエストなので、福岡に来た初日に連れて行ってあげました。
いとこ家族が商売をしていた時は、こんな建物でした。
↓ ↓ ↓

(この写真も私が奇跡的に見つけました
)そして、パールさん一家がアメリカに移住したあと、日本に旅行に来た時に私の父にテーラーの場所に連れて行ってもらった時には、こんな風になっていました。
↓ ↓ ↓

写真では切れてしまっていますが、「CHINESE TAILOR」と書いてあり、別の方がまだこちらで洋服の仕立ての仕事をしていたようです。
それが今は・・・

↑ ↑ ↑
コインランドリーになっていました〜


「洋服つながり」ではありますが・・・昔の面影は全くありません。
せっかくなので、コインランドリーの前で記念撮影



米軍基地があった時のことを知っている人はいないとは思いましたが、いちお中におられた従業員の方に聞いてみることにしました。
パールさんが「米軍基地があった頃に、私の家族がここでテーラーの仕事をしていたんです」とお話しすると、「どうしてコインランドリーの建物の前で写真を撮っているんだろう・・・と不思議に思っていました」と言われました

(そりゃそうですよね・・・
)そして、その会話を聞いていたコインランドリーにたまたまお客様として来ていた男性の方が、「あそこの〇〇さんと△△さんと□□さんだったら、当時のことを知っているかもしれない」と3軒のお店を教えてくれました


教えていただいた1軒目は、クリーニング店。
中に入って聞いてみると、当時のことを知っている方は亡くなってしまったとのこと・・・。

しかし、こちらのクリーニング店は米軍基地があった頃は靴屋をしていたそうで、当時の機械がお店に飾ってありました。
教えていただいた2軒目は、肉まん屋さん。
有名な「太平閣」という肉まん屋さんです。
お店に入って聞いてみると、当時のことを知っている88歳のお母さんが対応してくださりお話を聞かせてくれました。

太平閣は、昔はなんとテーラーをしていたそうです。
いとこ家族と同業です

パールさんのご両親のことは覚えてはおられませんでしたが(50年以上も前のことなので・・・)、私たちの訪問をとっても喜んでくださいました



本当にありがとうございます


そして3軒目は、バイク屋さん。
こちらの店主も、本当に詳しくいろいろと教えてくださいました


こちらの店主のお父さんは昔米軍基地の消防士、お母さんは米兵の子ども相手のベビーシッターをしていたそうです。
いろいろな資料も見せてくれながら、当時のことを詳しく教えてくれました。


いきなりの訪問にも丁寧に対応してくださり、とっても対応に慣れていると思ったら・・・当時のことを聞きにアメリカ人などがお店を訪ねてくることが多々あるそうなんです。

こちらでもお店の前で写真を撮らせていただきました


本当にありがとうございました

当時のことを知っている方のお話を聞けて、パールさんも大感激


私も、当時の面影が全くないコインランドリーを見てパールさんはがっかりするだけだろうなぁと思っていたので・・・喜んでいるパールさんを見てほっと一安心しました


たまたまコインランドリーに来ていたお客様から教えていただいた情報のおかげで、3軒のお店を訪ねることができましたが、これだけでは終わりませんでした

福岡には2泊の予定で、翌日には私の父に昔連れて行ってもらった阿蘇山に行きたいと言われていたんです。
阿蘇の噴火口に行きたいと言われていたんですが、最近阿蘇山の噴火が活発で、噴火口は立入規制が毎日出ていたので、「明日阿蘇に行っても、噴火口には行けないかもしれない」と伝えたら、「それなら予定を変更しよう」ということになりました。
翌日の午前中は、五十番食品の工場見学をしていただきました。

そして私が工場を案内している間、私の姉が「白木原ベース通りについてもっと詳しいことを知れないか
」と、大野城心のふるさと館という大野城地区の歴史を調べられる資料館に行ってくれていました。すると、詳しい方がいるということで、工場見学のあとに心のふるさと館に行ってお話を聞かせていただきました。
そこでまた衝撃の事実が発覚しました

私がネットで偶然に見つけたこの写真。
↓ ↓ ↓

パールさんからお店の名前を「ウェスリーテーラー」と聞いていて、たまたまこの写真をネット記事で見つけた時に看板に「WESLEY」と書いてあったので、「この建物がパールさん家族が商売をしていたお店ではないか
」とパールさんにこの写真を送ったところ、まさにビンゴだったんですが・・・この写真を撮った方が、大野城心のふるさと館で対応をしてくださった女性ののちの旦那さんだったそうなんです。
1980年代にこの建物が取り壊されることになり、当時高校生だった旦那さんが、学校のカメラでこの写真を撮ったとのこと


自分の旦那さんが高校生の時に撮った写真の建物で商売をしていた方が40年後に訪ねてきたということで、ふるさと館の方も大感激していました

そして、もうひとつ感動の話があります。
今回福岡に遊びに来たのは、私の父の姉の子どものパールさんと、パールさんの妹ジュディさんの旦那さんと息子さんの3人でした。
パールさんの妹のジュディさんは、私が10年前にアメリカに行った時に家に泊めてもらったりして大変お世話になった方なんですが・・・1年半前に病気で亡くなってしまいました

ジュディさんが亡くなる前に、「私がもし連れていけなかったら、夫と息子を日本に連れて行ってほしい」と姉のパールさんにお願いしていたそうなんです。
それで今回の福岡への旅行となったんですが、ジュディさんの息子の名前が「ウェスリー」。
両親が商売をしていた「ウェスリーテーラー」の“ウェスリー”をジュディさんが気に入っていて、そこから名前を付けたそうなんです。
ウェスリーくんが、ウェスリーテーラーの写真を持って記念写真。


ここにジュディさんがいたらどれだけ喜んだことか・・・感激の瞬間でした。
今回、パールさんから「テーラーのあった場所に連れて行ってほしい」と言われ、なんとか場所の特定はできたものの、現在のコインランドリーの姿を見てがっかりして帰るだけの時間になると思っていたのが・・・いろいろな方のご協力のお陰様で、思いもかけずに家族のルーツを知る貴重な機会となりました


私の父も、この建物に居候しながらテーラーの仕事を手伝っていたのだと思うと、私もとても感慨深いです。
ご協力していただいたすべての方に感謝します


本当にありがとうございました


