2023年06月23日
ひとつひとつの商品にこめられる歴史!
先日出張先のレストランで「北京ダック」を出していただきました。

テンメンジャンはお店の手作りというこだわりの北京ダック、とっても美味しかったです

そしてっ
皮はもちろん五十番食品の「カオヤーピン」です

こちらのお店では、わが社のカオヤーピンをもう30年以上使っていただいています。
使っていただけることになったきっかけを、この度社長に教えていただきました。
先代の社長がお亡くなりになられたあと、現在は奥様が社長を引き継いでおられますが・・・かれこれ30数年前に、先代の社長と奥様(現社長)がとある中華料理店で北京ダックを食べられた時に、「この皮、美味しい
」となったんだそうです。
そしてそのカオヤーピンが五十番食品のものであることを聞き、早速ご自身のお店でも使っていただくことになったとか


それから30数年、ずっと使い続けてくださっています。
本当に有難い限りです

出張先から戻ってきたあと、“五十番食品の生き字引”の常務に「カオヤーピン」の開発秘話を聞いてみました。
いつから製造し始めたかは常務もはっきりとは覚えていないみたいですが、父がまだ生きていた頃なので、少なくとも33年以上は前のことです。
たぶん40年くらい前のことではないでしょうか
どうして父がカオヤーピンを商品化しようと思ったのかは分かりませんが、今まで作ったことのないものを新たに作り始めるわけです。
道具を揃えるところから始めなければいけません。
生地を伸ばすパイローラーは父が探してきたそうですが、生地を丸くくり抜く型と、生地を焼く鉄板は、常務が調達を命じられたそうです。
常務が五十番食品に入社する前に旋盤加工の会社に勤めていたことから、父から「前に働いていた会社で作れないか
」と言われ、常務が前職の会社の社長に相談したところ、快く作っていただけることになったそうです

しかし、常務からのお願いということで、旋盤加工の社長はどうしてもお代を受け取られなかったそうで・・・代わりといってはなんですが、五十番食品の商品をたくさんお渡ししてお代代わりとしたそうです。
こちらが今でも使っている鉄板。
↓ ↓ ↓


↑ ↑ ↑
鉄板の厚みにもこだわったそうで、厚みが薄すぎるとと鉄板がすぐ温まるが冷めるのも早い、逆に厚すぎると冷めにくいが温まるのにも時間がかかる、ということで、今の厚みとなったんだそうです

使い込まれた鉄板は、鏡のようにツルツルです

↓ ↓ ↓

そして、カオヤーピンが「今の味」になったのにも歴史がありました
当初のレシピは今のレシピとは少し違っていたそうです。
そしてこれは父が亡くなったあとの話だそうですが、わが社のカオヤーピンを仕入れてくださるようになった問屋様の社長から「もう少し甘くしてはどうか
」とか「ラードをもう少し増やしてみてはどうか
」などのアドバイスを受けて、レシピをいろいろと改良して今の味になったんだそうです。
その問屋様は、今でもわが社のカオヤーピンの取扱量ナンバーワンです
(ありがとうございます
)
ひとつひとつの商品に、そこにこめられた歴史があります。
そしてその歴史の上に今の会社があります。
「私が入社する前のことだから知らない」ではなく、歴史の土台の上に自分たちがいることを思うと、歴史を知る努力をすることも大事だと思いました。
常務から「俺が生きているうちに、(五十番食品のことを)いろいろと聞いとかないかんよ
」と言われました

数年前に「五十番食品の歴史シリーズ」をブログに書いていましたが、いつの間にか頓挫してしまっていました。
感謝を忘れないためにも、また再開しようと思います


テンメンジャンはお店の手作りというこだわりの北京ダック、とっても美味しかったです


そしてっ

皮はもちろん五十番食品の「カオヤーピン」です


こちらのお店では、わが社のカオヤーピンをもう30年以上使っていただいています。
使っていただけることになったきっかけを、この度社長に教えていただきました。
先代の社長がお亡くなりになられたあと、現在は奥様が社長を引き継いでおられますが・・・かれこれ30数年前に、先代の社長と奥様(現社長)がとある中華料理店で北京ダックを食べられた時に、「この皮、美味しい

そしてそのカオヤーピンが五十番食品のものであることを聞き、早速ご自身のお店でも使っていただくことになったとか



それから30数年、ずっと使い続けてくださっています。
本当に有難い限りです


出張先から戻ってきたあと、“五十番食品の生き字引”の常務に「カオヤーピン」の開発秘話を聞いてみました。
いつから製造し始めたかは常務もはっきりとは覚えていないみたいですが、父がまだ生きていた頃なので、少なくとも33年以上は前のことです。
たぶん40年くらい前のことではないでしょうか

どうして父がカオヤーピンを商品化しようと思ったのかは分かりませんが、今まで作ったことのないものを新たに作り始めるわけです。
道具を揃えるところから始めなければいけません。
生地を伸ばすパイローラーは父が探してきたそうですが、生地を丸くくり抜く型と、生地を焼く鉄板は、常務が調達を命じられたそうです。
常務が五十番食品に入社する前に旋盤加工の会社に勤めていたことから、父から「前に働いていた会社で作れないか



しかし、常務からのお願いということで、旋盤加工の社長はどうしてもお代を受け取られなかったそうで・・・代わりといってはなんですが、五十番食品の商品をたくさんお渡ししてお代代わりとしたそうです。
こちらが今でも使っている鉄板。
↓ ↓ ↓


↑ ↑ ↑
鉄板の厚みにもこだわったそうで、厚みが薄すぎるとと鉄板がすぐ温まるが冷めるのも早い、逆に厚すぎると冷めにくいが温まるのにも時間がかかる、ということで、今の厚みとなったんだそうです


使い込まれた鉄板は、鏡のようにツルツルです


↓ ↓ ↓

そして、カオヤーピンが「今の味」になったのにも歴史がありました

当初のレシピは今のレシピとは少し違っていたそうです。
そしてこれは父が亡くなったあとの話だそうですが、わが社のカオヤーピンを仕入れてくださるようになった問屋様の社長から「もう少し甘くしてはどうか


その問屋様は、今でもわが社のカオヤーピンの取扱量ナンバーワンです



ひとつひとつの商品に、そこにこめられた歴史があります。
そしてその歴史の上に今の会社があります。
「私が入社する前のことだから知らない」ではなく、歴史の土台の上に自分たちがいることを思うと、歴史を知る努力をすることも大事だと思いました。
常務から「俺が生きているうちに、(五十番食品のことを)いろいろと聞いとかないかんよ



数年前に「五十番食品の歴史シリーズ」をブログに書いていましたが、いつの間にか頓挫してしまっていました。
感謝を忘れないためにも、また再開しようと思います

