2013年06月21日
「包子」と「饅頭」の由来
先日ブログ記事に伯父から教えてもらった「油条の“怖すぎる”話」について書かせていただきましたが、今度は伯父が「包子と饅頭の由来」について面白い話を教えてくれました

以前もこのブログで「包子と饅頭の由来」についてご紹介したことはありましたが、伯父の文章の方がより詳しくて面白いのでまたまたご紹介させていただきます

皆さん、饅頭(包子)のルーツが諸葛孔明にあることを知っていましたか

知っている方も知らなかった方も、是非下記の記事を読んでくださいネ

とっても興味深いお話ですよ



以前もこのブログで「包子と饅頭の由来」についてご紹介したことはありましたが、伯父の文章の方がより詳しくて面白いのでまたまたご紹介させていただきます


皆さん、饅頭(包子)のルーツが諸葛孔明にあることを知っていましたか


知っている方も知らなかった方も、是非下記の記事を読んでくださいネ


とっても興味深いお話ですよ


◆包子(中華まんじゅう)の由来(起源)
「包子」は古来より中国漢民族が食する小麦粉食品の一種で、その起源たるは「三国時代」(西暦184〜280年)である。
時は三国時代、蜀の国(蜀漢)の政治家、軍人である「諸葛亮(しょかつりょう)、字は孔明(孔明)」が兵を率いて南蛮(中国南方の帰順しない異民族)を攻め、戦いの末、南蛮を打ち破り、敵の武将、「孟获(もうご)」はじめ幾人かと兵を降伏させ捉え、蜀の将兵ともどもお国、蜀漢への帰路するに至った。
帰路、必ず濾水(長江)を渡らねばならない。
軍人、馬車が濾水を渡る準備に取り掛かったそのおり、突然暴風雨となり、浪高く、激しくうねり、止む気配全くなく、暴風雨は大荒れするばかり、大軍、渡江できない状況とあいなった。
軍人、馬車が濾水を渡る準備に取り掛かったそのおり、突然暴風雨となり、浪高く、激しくうねり、止む気配全くなく、暴風雨は大荒れするばかり、大軍、渡江できない状況とあいなった。
そこで、孔明は敵将、孟获を呼び出し、何ゆえ濾水がかようまでに荒れ、おさまらないのかを問うた。
孟获、答えて曰く、「両軍交戦の結果、南蛮の将兵が多く死亡し、かの将兵達は故郷に帰れず、家族との再会もできなくなった怒りから、暴風雨をおこし、貴国の大軍の帰路を阻止しようとしているのである」と答えた。
孔明は、なら、どうすればこの暴風雨を静め抑えうるのかを問うた。
孟获曰く、「暴風雨を静め、帰路を望むなら、49人分の人頭を用意し、河に投げ込み、酒祭を行うがよい」と答えた。
孟获、答えて曰く、「両軍交戦の結果、南蛮の将兵が多く死亡し、かの将兵達は故郷に帰れず、家族との再会もできなくなった怒りから、暴風雨をおこし、貴国の大軍の帰路を阻止しようとしているのである」と答えた。
孔明は、なら、どうすればこの暴風雨を静め抑えうるのかを問うた。
孟获曰く、「暴風雨を静め、帰路を望むなら、49人分の人頭を用意し、河に投げ込み、酒祭を行うがよい」と答えた。
それを聞いた孔明は、両軍交戦して既に数知れない戦死者を出し、この上、更に49人ものを殺すことができようか、と悩みに悩んだ末、食担当兵将を呼び、小麦粉で皮(生地)をつくり、餡は黒牛と白羊肉(ミンチ)を包み大きさを人頭大にし、見掛けも人頭に似させ、49個作るよう指示して、作らせ、出来上がった後、酒祭を大々的に行ったところ、風雨は静まり、波静かとなって大軍は無事渡江でき帰路につけたとのこと。
この後、人々は「饅頭」と聞けば、この物語を口にし、饅頭(包子)のルーツは諸葛孔明にありとなった。
「饅頭(マントウ)」の元の名は「蛮頭(バントウ)」であって、南蛮の地で人頭で神祭の言われから、蜀蛮の戦いで、人頭饅で祭神し尊い人の命を守ったことから伝説とあいなったとのことである。
「饅頭(マントウ)」の元の名は「蛮頭(バントウ)」であって、南蛮の地で人頭で神祭の言われから、蜀蛮の戦いで、人頭饅で祭神し尊い人の命を守ったことから伝説とあいなったとのことである。
孔明が考案したのは牛羊肉をミンチにし、餡の材にした作りは多分に時間を要したが、後に、餡なしで、簡単につくれる「蒸しパン」風のモノをつくるようにもなり、それを「白饅頭」と呼んでいた。
時代が、満族が統治する清朝となり、主権者である満族人も「饅頭」を好んで食するようになった。
満族語では、饅頭を「餑餑(バオバオ)」と称した。その後、「餑子(バオツー)」となり、さらに「包子(バオツー)」
へと変わり現在にいった次第。餡なしの蒸しパン風は、「饅頭(マントウ)」である。
↑ 以上が包子(饅頭)の由来になります


饅頭の由来が諸葛孔明にあるとは本当にビックリです


伯父さん、興味深い話を本当にありがとうございました


